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スタッフによるリレーコラム

Weekly Column 「ベンチャー起業のヒント」


<Vol.32/2000.9.27>

9月24日徳島県阿南市ボランティアフェスティバル会場にて、中学生を中心とする少年少女約50人が株式会社を設立して露店を経営(少年少女起業体験プログラム)。決算を行い、株主総会を開いて利益を配当した。たまたま晴天に恵まれ、全社黒字で多いところは参加者一人当たり5000円の配当が分配された。この少年少女が社会人になるのは5年から10年後。将来が楽しみだ。(たまたま投資先のイメージワンが9月22日ナスダックジャパンに株式公開、 NTVPi-4号投資事業組合の設立も9月19日だった。)

去年も感じたことだが、中学生の会社も大人の会社も、遭遇する突発的な事態の連続は、全く同じである。馬鹿にする無かれ、指導しているはずの一日VCの徳島大学の学生や、大人の我々が帰って学ぶことが多い。


<Vol.31/2000.8.15終戦記念日に>

ナプスター事件、MSドットネット構想をはじめ、相変わらずネット社会の動きは激しい。ネットバブルの崩壊で騒ぐどっかの国でも、どっこい現場の動きは激しいですね。風雲急を告げています。ニュースから目が離せません。NTVPも大忙しで、投資先のバックアップのみならず、9月には少年少女起業体験プログラムを、徳島県阿南市で実施します。11月には、NTVPベンチャーカンファレンスも計画しています。来春までに公開会社が出てきそうでもあります。


<Vol.30/2000.7.6>

7月15日、2ヶ月くらいかけて翻訳協力して完成した「ザ・ベンチャーキャピタル」起業から株式公開の戦略 (スティーブハーモン著、村口監訳・各章コメント)が発売になります。

多分日本で初めてVC関係用語を厳格に統一し、理論とインタビューと実務的注意点が充実し、巻末に日本のVC事務所コメント付き一覧表をずらっと並べましたので、ご期待・ご批判ください。ベンチャーおよびVCに興味のある方に最適です。

☆7月23日午前9時から49分間、NHKのBS1番組「金の卵を発掘せよ」ベンチャー企業に投資する男たちというNTVPの投資活動をベースにしたドキュメンタリー番組が放送されます。お時間がよろしければ、ご覧ください。

ここ数ヶ月、この2つの作業に追われておりました。活動のヒントも2ヶ月ぶりです。是非本を入手ください。大分私も筆を入れております。


<Vol.29/2000.4.30>

アメリカのネット系ベンチャーの株価調整が、話題となっている。日本においても株価が乱高下した。2000年の3〜4月は、世界の重大な変化点となった可能性が高い。当然、ついこないだまで当たり前のように調達できていたVC資本が、突然調達不能状態におちいったドットコムベンチャーも多いだろう。いったい時代はどちらに向かって進化を遂げるのだろうか?何が起きているのか?この乱気流の中を生き抜く気力と、平衡感覚が強く求められる。分からなくなったら基本に立ち戻り、古典的な名著に触れてみるのも正しい時代のくぐり抜け方であろう。明日から、投資先である104のアイモードサービスXXXが始まる。乞うご期待!


<Vol.28/2000.4.8>

楽天の大規模な公募増資額(495億円)が明らかとなり、一方で携帯電話取り扱いのネクステルの株式上場延期が発表されるなど、IPOをめぐる悲喜こもごもの状況が目の前に展開されている。1999年暮れのマザーズ騒動から始まった2000年のネット株ブームは、激しい市場の反動を伴いながら落ち着きを見せ始めている。ここで注目すべきは、それでも事態は急速に進展しているという事実である。BtoBが言われ、日本の伝統的巨大企業グループがこぞって企業間電子商取引に向かって動き始めている。この動きは、ネットベンチャーの株式公開100社分に匹敵する以上の経済活動を誘発するだろう。そこにこそベンチャーの一大チャンスがある。


<Vol.27/2000.3.15>

3月22日(水曜日)は、東京五反田(ゆうぽうと)で待望のNTVPベンチャー・カンファレンスが開催される。長いことこういうカンファレンスを開催したかった。やっと日本でもこういうカンファレンスを開催できる環境が整ってきた。感無量である。このカンファレンスは、たぶん日本で開催するベンチャーカンファレンスとしては先進的なものである。というのも、登場するベンチャー企業の経営者がナマでプレゼンテーションを行い、しかもその会社がすべてベンチャーキャピタル投資を受け入れている新進気鋭ばかりである、という点だ。すべての企業が近々株式公開を目指している。また、それを聞く聴衆のレベルも、証券アナリストやファンドマネージャー、ベンチャーキャピタリスト、ベンチャー専門家などレベルの高い人が中心だ。一方で、ネット系のバブルが早くも吹き飛びつつある。ある意味で結構なことであり、いよいよ本物志向の時代が始まった。本物志向のベンチャー関係者はぜひ参加をおすすめする。ベンチャー企業のプレゼンテーションに耳を傾けてみよう。


<Vol.26/2000.3.4>

1月2月、昨年1999年11月設立の投資事業組合NTVP i-2号の組入れが忙しく、だいぶんサボっていた(ゴメンナサイ)。 いろんなことが、同時に進行しているのでかいつまんで動向をレビューしておこう。まず、1月は104という昨年12月22日設立のスタートアップベンチャーに出資をした。また、2月にはヘルスケアネットに出資した。投資先であるDeNAとインフォテリアの株式公開準備支援を進めるとともに、公開直前の最終第三者割当増資作業を支援した。世間では、マザーズ騒ぎがザワザワし続けている。しかし、3月が近づくと、予想通りネット系の狂乱株価も沈静化に向かう兆候が現れ始めている。(マザーズの相当激しい水準訂正が始まっていて、インターネット総研は毎日株価を落としているし、ソフトバンクなどの銘柄も最高値から調整中である。) 2月の終わりから、投資先ベンチャーの創業社長ら複数と、サンフランシスコへ行った。非常に楽しかった。(従って、このレポートはサンフランシスコから成田に帰国する飛行機の中で書いている。) さて、この2000年の春から夏はどういう景色になるのだろうか?第一にマザーズを中心に公開会社が相次ぐだろう。さすがに銘柄数が増え、比較感が出てくると、株価も落ち着きを見せてくるだろうが、豊富なファイナンス資金を手にしたネット系公開会社の増加は、ネット系の相互発注を活発にし、マーケットの拡大を加速させるだろう。そこに大きな事業拡大の市場機会が生じるだろう。第二にアイモードの発展は、久しぶりに世界市場での日の丸標準の活動を世界に見せ付け、日本ベンチャーの中にも世界に出られる可能性が広がるだろう。第三に伝統的大手企業の情報投資が、eCへの対応要請から今年から来年にかけて相当広がりを見せるだろう。ただ、ネット系の仕事は伝統的ながっちりした大手企業では自社対応が困難な部分が多く、変革を伴うため、外部へのアウトソースか、外注に頼ることになることが予想されることから、やはりネット系ベンチャーの活躍の場は大きくなる一方だろう。 細かい議論を飛ばすが、結論としては、2000年春から夏にかけて、ネット経済の発展をきっかけに、経済社会に久しぶりにエンジンがかかってくる可能性が高いのではないか?もし、この仮説が正しいとするなら、この機会を逃しますな!


<Vol.25/2000.1.16>

2000年の日本のベンチャーが考えておかねばならない変化は何だろうか?1999年は、ビットバレーなどネット系のベンチャーがマスコミでは注目された。ただ、収入は小さいし、ベンチャーキャピタルは渋いし、マスコミが騒ぐ一方で実際のネット系ベンチャーのフトコロは必ずしも豊かでなかったのではないか?ところが、年末にインターネット総研騒ぎがあって、日本のベンチャーキャピタルもいよいよ動き出すかもしれない。ベンチャーキャピタルが動けばネット系ベンチャーの中に、数多くの億円の先行投資資金を持った先が出てくるかもしれない。さらにその中の一部は実際に株式を公開し、大きな資本を調達する。バブルかどうかはともかく、それでキャッシュリッチとなり、人が動き、物が動き、マーケットが連鎖的に動き出す。この動きは、2000年の後半まで乗数的連鎖となって拡大する可能性が大きい。ベンチャー関係者は、そこの動きをミクロで創り出して行く社会的使命を負っていることを肝に銘ずるべきである。みんな頑張ろう!


<Vol.24/2000.1.1>

皆様、明けましておめでとうございます、2000年です。2000年は、いよいよ日本にとってバブル回復後最初の本格的発展期を迎える、と予想しています。キーワードは、「時代全体のネット化対応」です。すでに中国は大きくキャッチアップを始めています。日本もおちおちしていられません。日本には家電メーカーをベースにアイモードがあったり、情報家電の産業基盤がしっかりしています。これは、時代的な大きなチャンスです。このチャンスに皆さんはどう対応するでしょうか?答えは5年後に出るでしょう。2005年に一つのピークを迎えるこの流れの波頭を捉えましょう。起業家、ベンチャーキャピタリストが目指す一つの時代の高みが、2005年であることを肝に銘じましょう。「目指せ2005年!」「未来は自分で拓くもの」


<Vol.23/1999.12.25>

NTVP i-2号投資事業有限責任組合(通称:勝海舟)が、1999年11月から年末に払込作業を行い、何人かの公開企業のオーナーを中心として総額14億円で成立した。すでに投資を始めており、DeNAやインフォテリアへの投資で年末までにすでに4億円近く投資した。この組合は、来年の夏くらいまでに組み入れが終了しそうである。組合の設立作業は、ベンチャーキャピタリストにとって大変な作業である。何たって身銭を切って投資家はお金を入れるわけであるから、投資家の質問はキャピタリストの全生涯を突き刺すように厳しい。このお金を出す投資家と、そのお金を運用しようとするキャピタリストの関係構築作業の洗礼は、ベンチャーキャピタリストがベンチャーキャピタリストに成るための産道を通り抜ける大事な作業です。


<Vol.22/1999.12.18>

事務所の移転について、気がついたことを記しておこう。電話工事の関係で、電話が通じないことがないようにしなければならないが、結構面倒である。同様LAN工事など、時間がかかったりすることで、日常業務にとぎれがないようにしなければならない。NTVPにとっては、二号ファンドの設立作業と、年末作業が重なり、得も言われぬ錯綜した忙しさが続いたけれど、これはどこでも同じことでしょう。家具については、会議用のテーブルを発注したまでは良かったけれど、運び込む段になってエレベーターに乗らず、また事務所が6Fだったものだから、諦めるという事もありました。エレベーターの寸法って大切なんですね(今更ながら)。それから、事務所移転に絡む人の問題はベンチャーは大変です。独立事務所になると、かかってきた電話をとれる体制をとるだけでも、人を一人常駐させることを考えなければならない。技術どうのこうのという前に、事務所としての機能を稼働させる、という作業そのものがベンチャーにとってはひと仕事です。また、移転先の住所連絡も大切な作業となります。そういえばベンチャー論のなかに、「事務所の立ち上げ」という作業に関する論究が少ないような気がするけれど、如何なものでしょうか?


<Vol.21/1999.12.4>

1999年も12月になった。この一年は、NTVPにとってあまりに激動の1年であったと思う。創業とは、どんなケースもそんなことだ。組合創立一周年で、事務所を移ることになった。20坪くらいの所で、これまで共同事務所であったものを、小さなビルのワンフロア全部NTVPの事務所として使えるようになった。大きな進歩で、外から見れば小さな事だが、当事者にとっては嬉しいことである。そこで問題なのだが、事務所の準備はまともに新品をそろえたりするとものすごいお金がかかると言うことである。そこで、ベンチャーが少ないお金で事務所を構えるための相談相手として、中古事務諸設備・OA機器事業者にお世話になることになる。ところが、この情報は必ずしも十分ベンチャー関係者に知らされていないように思う。新品で買うのと、感覚的に半分の値段ではないかと思う。NTVPでは、こういう相談にも乗れるように、情報を一度整理したいと思う。もし、得意である、情報通である、という方は御連絡していただきたい。


<Vol.20/1999.11.22>

11月13日、14日と池上本門寺で起業体験キャンプを実施した。7チームが事業計画を作り社名を考えて、学生による一日ベンチャーキャピタリストから投資を受けて会社を作った。少年少女向けとはいえ、ベンチャーキャピタリストを志すものにとって、大変参考になるキャンプであった。詳細は、起業キャンプホームページを参照されたい。ハイテクには関係のないボランティアのイベントではあったが、やってみて驚くのはベンチャー事業の持っている「不確実性」などの性質を見事に映しているという一点である。子供の写真ばかりだと思わずに、是非プリントアウトしてベンチャーキャピタリストを目指す仲間で読み合わせすることをお勧めする。11月18日、19日は、モバイルベンチャーセミナーでパネリストに初めてなり、NTTドコモの会長などとディスカッションを行った。11月22日には、インキュベーション「i Gate」で、月例会が行われ、パーティーには本門寺の学生一日ベンチャーキャピタリストの何人かが合流して、一週間前に終わったキャンプの話を延々と振り返って盛り上がった。


<Vol.19/1999.11.13>

今日11月13日土曜日はNTVPでお手伝いして池上本門寺ボーイスカウト・ガールスカウトにおいて、小学4年生から高校2年生まで40人の少年少女が7チームに別れ、起業体験キャンプを実施する。はてさてどんなことになるか、楽しみである。多忙の中の準備だったので、十分でなかったかも知れないが、初めての試みである。大学生ボランティアが一日ベンチャーキャピタリストになって、各チームにつく。一日登記所も設け、事業計画を作成し、会社を設立する。11月14日日曜日は、池上本門寺境内において各会社が販売活動を行い、同日午後決算を閉めて、配当を行った後、会社を解散登記する。NTVPの各メンバーが作業についている。どうかお近くの皆さんは、11月14日日曜日午前中、東京都大田区池上本門寺境内まで、ものを買いに来て下さい。子供の起業家が、何かしら販売活動を行っています。


<Vol.18/1999.11.3>

唐突だが、事業計画は誰が作成すべきだろうか?事業計画作成コンサルタントか、会計士か、弁護士か、それとも手伝ってくれそうな学生バイトか、信頼してる将来性豊かな部下か?すべて間違いだ。事業計画は創業を考えている「あなた自身」が書かねばならない。なぜだろうか?創業状態は、見かけのベンチャー論は経済的に大成功だったり、ビルゲイツ氏が出てきたり、ドラマチックでエクサイティングなドキュメンタリーとしてマスコミに取り上げることが多い。しかし、実際の現場は、事件に次ぐ事件、事故に次ぐ事故、変更に次ぐ変更で、予期せざる徹夜の連続である。昔から「商売は死に病」と言われるが、本当に死ぬかどうかのぎりぎりの線を越えていかないといけない。同じ事業を、別の人が計画すれば、全く異なる事業計画になってしまう。それは、事業をしようとする人によってある事業を取り上げる着眼点も解決の優先順位や戦略的意味が全く異なるからだ。そう言う前線状況の多様性は、ごちゃごちゃ説明するより、中国の古典や、司馬遼太郎の歴史小説を読めば事足りる。孫子の兵法は、その冒頭に戦争で重要な事として、道、天、地、将、法の五点をあげている。天の声、地の利を推し量るのは、将である。変転きわまりない戦況の変化に対し、対応できるのは創業しようとしている「あなた」だけである。(よく事業計画の提示を求められた経営者や、創業準備者が、「事業計画を書けるスタッフがいない、育っていない」など言う人がいる。これは、自分の役割から目をそらしている可能性が高い。)


<Vol.17/1999.10.15>

ベンチャー投資は、本質的に「未来の可能性と、結果変動性」を同時に性質として持っている。ベンチャー企業は、未来の可能性をマネージメントする。結果は、創業であるが故に本質的な変動性を持っており、他に変動を吸収できる既存の事業はない。当然である。

ベンチャーのみならず、事業とはすべて、市場において成否を決せられる。市場は競争者に溢れ、その未来の結果変動性は避け得ない。我々は、その経済社会に生活をしている。資本市場主義の経済社会という。大企業とて、その厳しさは同じである。人間は、未来の可能性に投資をし、マネージメントしようとしている。そこには結果変動性がある。この世界観を何と呼べばよいのか?

日本は高度成長期以来、終身雇用と高給に守られて、サラリーマンの「安定錯覚」にはまりこんでいたと言うべきだ。「安定錯覚」にとらわれている人に、資本市場主義の世界観を話してもそもそもピンとこない。根本的に変動性を避けたいと思っており、また困ったことに避けられると思っている人も多い。だから、「安定錯覚」の人にとっては、リスクマネージメントという単語を聞くと、リスクを避けること、と誤解してしまう。リスクとは未来の可能性と裏腹の同じ事である。リスクを避けるとは、未来の可能性を同時に避けることを意味する。リスクテイクとは、未来の可能性にチャレンジすることと同じ意味である。

新しい競争社会における日本人は、未来の可能性をマネージメントしているという経済生活の自覚が必要である。同じ意味だが、リスクを避けるのではなく、リスクテイクをしているという自覚を持たねばならない。人間は未来のマネージャーなのだ。(もしあなたが「安定錯覚」にまだ囚われているなら、その催眠術から覚める必要がある。日本のベンチャーの回りには「安定錯覚」の人がいっぱいいる。ベンチャーに必要な思想は、健全な個人主義の思想であり、日本は古来武士の精神、商人の精神が豊かな国である。今我々に必要なことはアメリカの文化を取り入れることではなく、本来の日本の良き文化を快復することである。)


<Vol.16/1999.10.5>

10月5日は、芝大門におけるインキュベーション施設「i Gate」記者発表の日である。何回か記者発表をやっていて思うことだけれど、ニュースの価値とは相対的であるという点である。ちょうど当日は内閣組閣の正式発表日であり、そうなると翌日の新聞が本件を取り上げてくれるかどうか非常に微妙である。どういう事件がその日に起こるかというのは偶然の要素が大きいから、どうマスコミが取り上げられるか、新聞社ですら分からないことが多い。

放射能事故は、またまた思う「個人より組織がいい加減」という典型例であり、日本人の恥の個人文化が、組織に負けて風化していることの証左であり、またベンチャーは絶対に大企業病にかかった風土からは出て来るわけがない証拠を怒りと共に見たような気がする。

4日夜、あるネット系経営者の集まりに参加して知り合いから「村口さんは疲れているんだろうけど、すっきりしているね」と指摘を受けたので、「独立前みたいに大組織の縛りから解放されているので、休みが取れずしんどいけれど、ストレスの性質が全く違うからでしょう」と答えた。さもありなん。


<Vol.15/1999.9.30>

9月30日は、アイアンドエフの新技術の記者発表、デモが、芝公園NTVPキャンパスで10時半から行われる。その今日、日経朝刊の第17面に、シリコンバレーは影木記者が書いた「伊VBのシリコンバレー進出成功例」を読んで感激した。

インフォテリアの平野社長と8月はじめアメリカへ同じテーマで行き、あの話題で影木記者と盛り上がった後だからだ。インフォテリアの構想に対する応援歌とも読めた。

あの記事の中には、日本のベンチャーが考えなければならない一つの視点が述べられている。日本国内の見本市に出ることばかり考えていては、日本のベンチャーの国際戦に明日はない。アメリカのVCに頼ることばかりが良いとは思わないが、その位のことを構想するヴィジョンは絶対必要だと思う。


<Vol.14/1999.9.24>

台湾の地震は心配だが、国内では神奈川県警の不祥事が大きく取り上げられている。ベンチャーに関係があるのは、当然前者の話題であるが、神奈川県警の問題も関係ないとは思わない。

責任というのは、一般的には個人の責任のことと連想される。菊と刀ではないが、日本は恥の文化と言われ非常に個人の次元におけるモラルの高い民族として知られる。これは個の確立という点で、世界でもたぐいまれな国民であったはずで、それが明治維新を成功に導き、日清日露戦争における勝利を導いて白人中心の植民地支配の世界史に大きな影響を与えた。

それが第二次世界大戦の準備をし始めた頃から全体主義が頭をもたげ、戦後復興政策に引き継がれて全体主義と民主主義が、高度成長期に「組織中心主義」(いわゆるサラリーマン主義)に結実したと言えよう。そのころから恥の文化として語られた日本的個人主義(武士の精神)が退廃し始め、低俗なヘアヌード掲載を特徴とする週刊誌文化の隆盛を見、精神主義の象徴と見られるべき女子高校生までが援助交際文化を産み、とうとう日本は「完全な組織主義」へと振り子は振れたと見るべきだろう。

組織主義の考え方に依れば、すべての個人は組織に属し、責任は組織にあって個人は単なる組織の奴隷である。組織に追求されない限り個人は何をやっても良い。それが組織主義における自由勝手、という思想であり、個人主義における自由とは大きく趣を違えている。これは個人の堕落である。組織主義世界観が支配している社会において、いわゆるベンチャーの独立創業などというものは、著しく異端の考えであるか、不安かつ混沌とした暗黒の作業となる。これが幾多の起業家を産み出した日本における、ベンチャー創業の心理的困難さを助長している最大原因と考える。

その「組織主義の堕落」が今、学校崩壊という言葉で、また援助交際、子供を置き去りにする親、という共通のイメージで語られている。神奈川県警の問題も、全くこのコンテキストの象徴的事件である。おかしいのは、この組織主義の堕落を、個人の責任とせず、組織のせいにしようとする意見の多い点である。組織に責任を押しつけすぎて起こってきている社会問題を、組織に責任を押しつけて解決しようとしている。ばかげている。

我々が学ばなければならないことは、組織の責任以外に、もっと大切な組織が見ていない「個人領域の責任」が大切であるという点である。個人領域のモラルや、人生観を掘り下げられる健全な個人主義の社会からこそ、ベンチャーが生まれる。ベンチャーは組織をいじくり回して生まれるのではなく、個人のヴィジョンの中から創造されることを肝に銘じるべきである。やや私が昨今のベンチャー政策に懸念を抱いているのは、社会組織をあげてベンチャーを創出する、という間違った政策思想がベースになっていはしないか、という点である。

繰り返し言うと、「個人次元の責任感覚」がこれからの日本には必要で、かつて「恥の文化」ということで日本はもともとカルチャーとして在るものであり、この涵養がベンチャーを産み出す文化的苗床である点を忘れてはならない。そう言う意味で、正しく日本におけるベンチャーの発展は「恥の日本文化のルネサンス」と言って良い。


<Vol.13/1999.9.15>

日本では、向井千明さんとか宇宙飛行士がスターになっているし、私もそう思う。

しかし、よく考えてみるとヘンだと気付く。何で日本人がアメリカの宇宙船に搭乗することが凄いことなんだろうか?逆に、何でアメリカの飛行船にアメリカは日本人を乗せているのだろうか?

日本は世界で第二の経済大国であり、人口はアメリカの半分である。しかし、宇宙開発に関しては全く遅れてしまっている。いったいガガーリンが有人人口衛星で宇宙に上がって戻ってきて何年経ったろうか?それを打ち上げたソ連邦はすでに世界から消え去っているのに、日本から宇宙飛行士が種子島から上がって戻ってきたという話を聞かない。なぜなんだろうか?何か国際協定でもあるのだろうか?

確かに向井千明さんはリスクを犯して偉いのかも知れないし、有名になってしかるべきなのかも知れないが、アメリカの宇宙船に乗せて貰って帰ってきて、アメリカに有り難うとでも言うのだろうか?なぜ日本人は自分たちで向井千明さんを宇宙へ届けようとしないのだろうか?危ないからか?アメリカのスペースシャトルが爆発したこともあったし、アメリカだって安全とは言えない。何で日本から有人人口衛星が上がらないのだろうか?もし向井千明さんが事故にでも遭おうものなら、アメリカの宇宙開発のために日本人が命を捧げたことになるのか?何で日本人がアメリカの宇宙開発に命を捧げ、日本でスターになるのだろうか?

向井千明さんの名前がテレビで出るごとに、日本の科学技術を馬鹿にされているように思われてならないのは、私だけか?


<Vol.12/1999.9.9>

ベンチャーの能力を評価するときに、決算書を評価し財務分析をする事について考える。

ベンチャーが成長するための原因を探ることを分析の目的とするとき、決算書の数字は結果である。数字の原因は財務分析で分析できるだろうか?確かに財務の数期分を比較すれば、トレンドが分析でき、財務バランスの善し悪しが損益に影響している様子が分析できる。

ただ、「財務分析の限界」を理解しなければ間違う。決算書が作成されるためには、事前に元帳が閉まり、元帳が閉まるためには、事前に伝票が起票されねばならず、起票されるためには事前商取引が起こらねばならない。商取引を起こすためには、事業活動をなさねばならず、事業活動を起こすためには事前に指示がなされねばならない。事業活動の指示がなされる以前に、事業活動を実施するための意志決定が行われたはずである。このことから明らかなとおり、決算書の数字は、蝓か以前の意志決定をその原因としている。従って「決算書は、過去の経営の反映」であって、現在の経営の能力を示していない。

VCがVBの未来の可能性を評価しようとするとき、財務分析は過去の経営行為の結果を示すのみである。のみならず、なぜそう言う結果となったか、という原因を探るとき、経営の意志決定がなされてから実施に移されるまでのタイムラグに起こった環境の変化という制御不能の外的要因が入ってくる。従って、計画と結果の差異分析をしようとしても、計画策定の環境要因がすでに根本的に変わっている可能性がある。例えば、ライバル競争相手の戦略変更である。突然競争相手が戦略を変えてきているときに、それ以前の計画と実績の内部分析をしてみても、即応すべき戦略は出てこないのだ。

経営に求められる重要なことは、財務分析でなくて、変化への戦略的対応である。それが出来ているかどうかは、決算書を眺めていても見えてこない。決算書に答えを求めるのではなく、「決算書を手元に置いて、経営者と十分語ることである」。VBの未来のイメージは経営者の頭の中にある。


<Vol.11/1999.9.3>

ベンチャーキャピタルが、投資を検討するスタートアップおよびアーリーステージのベンチャーには際だった特徴がある。それは、立ち上がり期の赤字である。既に何らかの収益を実現している会社と異なり、創業と共に最初は必ず赤字である。一期目の決算が黒字であると胸を張るひとも、最初の数ヶ月は間違いなく赤字であったはずだ。いわんやネット系の売上が立ちあがるのが後からついてくるタイプのベンチャーでは、何年も赤字が継続する。この利益曲線を描くとJに似ていることから、Jカーブと私は呼んでいる。

この赤字が下に向かって突っ込むタイミングで、投資をするのがベンチャーキャピタル投資の特徴である。逆バリとも言われるこの投資手法は、他の投資ではあまり一般的でない投資形態であることから、特に日本ではノウハウが確立しているとは言い難い状況にある。特に組織型ベンチャーキャピタルにおいては、下に向かって突っ込むタイミングでの投資の意志決定は容易でない。日本の会社組織型ベンチャーキャピタルのスタートアップおよびアーリーステージの投資への対応が困難である理論的理由は、こんな所にあるのかも知れない。

さらに、目先赤字が下に突っ込んでいる状態で、このプロジェクトに相当の「先行評価」を実施し、相当の時価総額評価をしないと、いわゆる資本政策において大規模な投資が出来ない。これまた日本の株式会社組織型ベンチャーキャピタルにおいては、評価が困難なことである。これから収益が悪くなる状況で、会社の評価を「先行評価」し高く買い上げようと言うわけであるのだから・・・

こういうタイプのベンチャーは実績が少ないから、目先の月次財務数字を分析し、数ヶ月間の事業の整合性を検討することに汲々とするタイプの審査を行っても中身は何にもない。最先端領域は猫の目のように変化し、プロジェクトの焦点は数年後のマーケットポジションどりにある。数年後の業界ロードマップをベンチャーキャピタル側も描けなければ、このタイプのベンチャーの評価は出来ない。これも会社組織型ベンチャーキャピタル内部では評価を一致させることが非常に困難なシチュエーションである。

以上のベンチャーキャピタル独特の投資状況に対応できなければ、ベンチャーキャピタル産業に明日はないだろう。


<Vol.9/1999.8.21>

「終戦」記念日などの番組を見て思うことがある。私が直接体験したわけではないが、我々の国日本は、要するに原爆を落とされて戦争に負けたわけである。終戦と言うよりは、敗戦である。負けた戦争を、終戦と言って負けを認めないいさぎ悪さは何だろう?我々の国日本は、原爆を落とされて戦争に負けた。それでよい。我々の親とかお祖父さんが戦争に負けたのだから、我々はその後遺症に悩まされるのではなく、ぼちぼち潔く負けを認めて、平和な強い国を作ればよいわけである。

そこでみんなにお願いがある。どうか、物騒な武器は絶対に使わないし、インチキはしないから、日本の技術と人材を駆使して世界にベンチャーを出し、世界大戦を戦わせて欲しい、ということだ。頑張りますから・・・・

その為に考えないといけないことがある。日本軍がハワイ真珠湾に攻撃をした話ばかりが強調されるが、あのころの日本は資金もあまり豊かでなかったろうから、世界の金融市場からどうやって軍事費を調達するかが重要なテーマであったはずだ。すなわち、ハワイにばかり注目していて戦争が出来るわけでなく、ロンドンのシティに当時の日本は行って、おおいに軍事費の調達に尽力したのではないか?すなわち、戦争は軍艦やゼロ戦だけで戦えず、いかに世界の資本を味方に付けられるかが勝負の分かれ目であったと考える。

現在の日本のベンチャー議論は、あまりに目先の技術や市場の様子ばかりに目を奪われ過ぎてはいないか?世界の投資マーケットを味方に付けなければ、世界戦争は戦えない。この視点が抜けているようでは、またまた日本のベンチャーは世界で負け続けることになる。なぜ世界で勝てないのか?みんなでよく考えて、諸先輩が犯したミスを繰り返さないように注意しなければならない。


<Vol.8/1999.8.7>

今日、ネットスケープの本社に勤めている日本人と縁あって夕食をともにした。久しぶりだった。1995年8月の同じ頃だった、かの歴史的なネットスケープの株式公開がNASDAQにおいてなされ、たまたま私は休暇を取ってシリコンバレーにいた。サンノゼマーキュリーニュースの紙面を、ネットスケープのマークをつけたロケットが飛び上がる記事に出くわして驚愕した。まだネットスケープは設立一年ちょっとしか立っておらず、赤字8億円以上の一期目の決算を修了したばかりだった。その会社があっという間に巨大な公開による資金調達を実現した。ここで我々は考えなければならない。シリコンバレーのベンチャーが一夜にして巨大な企業に生まれ変わるのは、商品が売れたからではない。投資家がベンチャーに投資をするからだ。(当時からネットスケープのブラウザーはタダだ!)

日本のエンジニアは、その事実を良く頭に入れておかねばならない。投資家から投資を受け入れることがベンチャー拡大の出発地点である。会社が出来上がってから投資家が投資をするのではないのである。だから、アメリカでは投資家に対するベンチャーを始めとする企業のプレゼンテーションをするカンファレンスが非常に盛んだ。日本では、投資家から投資を受け入れられない事を前提に、すぐバイト的なことを始めてしまう。

投資家が投資をしないことを前提としたベンチャー論と、投資家から投資を受け入れることを前提にしたベンチャー論、その違いが日米の今日のインターネット関係産業の大差となって現れている。


<Vol.7/1999.8.1>

アメリカのベンチャーの株式公開資料である目論見書(プロスペクタス)は、最初にリスク要因をこれでもかこれでもかというくらい書いてあって、如何に投資家からの訴訟に準備した文章であるか分かるような気がする。例えば良く出てくる表現は、「この会社は、十分な実績がなく、また起業の立ち上げ段階特有のリスクがある。業界の構造も未だ固まっておらず、強力なライバルが登場してくる可能性がある。従って、将来の予測が困難かつ、たまたまここ四半期の業績が良くても来四半期の成長を保証できるわけでもない。また、実績の赤字は、さらにマーケッティング費用と開発投資を、ブランドイメージを高めることによる売上の増加が吸収できなければ膨らむ可能性がある。また、開発投資のために資金調達を予定しているが、調達が十分出来ないときには予定の開発が行われない可能性があり、成長性が限定される可能性がある。」といったものである。(これを読んだアメリカの友人は、どんなアメリカ人でも普通の人ならリスキーすぎて投資しないだろう、と言っていた。)

目論見書の後段には、リスク要因だけでなく公開するベンチャーの戦略もマーケットのデータも細かく述べられていて、まあ、こんな風にして訴えられないような準備をしてから赤字の会社が公開して行くわけである。そのためには数千万円から億の間接費がかかっているだろう。ここのところを勘違いして、赤字の会社でも公開できるのがアメリカの腹の太さと勇気であり、日本ももっと公開基準を緩くすべきである、日本人は保守的すぎる、と言う間違った議論はそろそろやめにしないといけない。逆に日本人にはアメリカ人以上の大和魂と無謀さを持っており、日本人が学ばなければならないのはアメリカ人の勇気ではなくて、慎重に準備するという用意周到さなのである。本当はこれは日本人の得意分野のはずで、そうでなければ真珠湾奇襲などという世界がびっくりするようなとんでもないことを、また質の良い家電を世界中にばらまくなどと言うことを、我々の先輩たちはしなかったはずである。


<Vol.6/1999.7.28>

今アメリカのシリコンバレーに来ていて、ぶらぶらしている。インベストメントバンクのカンファレンスに出席する。来週はインフォテリアの平野社長ともサンフランシスコで合流する。こちらのベンチャーに関係のないアメリカ人にベンチャーキャピタルの説明をするのも、日本で説明するのも、説明の難しさと返ってくる反応の複雑さはほぼ同じである。だから、あまり日本人はベンチャーで遅れていると思わない方がよい。

ただ気になるのは、ある起業家教育の教授が、日本がコンサーバティブだと言ったことだ。そんなことはない、日本は歴史的に保守的どころか中国にまで攻めていって敗戦した、というとしきりとうなずいていた。なぜその教授が日本人が保守的だと言ったかと言えば、「私があった日本人のエリートがみんなそういっているから」だそうだ。しまいには逆に、「なぜ日本のエリートは自分らのことを保守的だと言っているのか」、不思議がっていた。(確かに今日も世界中に日本の新製品が洪水のように溢れかえっていて、保守的な国民ならとても出来そうにない活躍をしているのである。)


<Vol.5/1999.7.23>

あるコンピュータ系の週刊誌社長とランチをご一緒した。NTVPが何を目指して仕事をしているか、背景から延々とお話しさせていただいた。その中で、しきりとその社長がうなずいていたことが引っかかる。日本人の大半は、「会社に値段があること」をほとんど意識していない。株価は意識するが、「会社全体の値段」という感覚が、完璧に欠落している。まるでマインドコントロールにあったごとく、「会社が投資によって成立し、会社全体の値段とともに発展する観点」が見事に抜けている。その社長が言うには、「これは歴史の中で日本人に対して何か意図的に行われたコントロールではなかったか?日本人はすっかり貯金をすることの重要性が刷り込まれている。」と。いったいどこから、こんな強烈な宗教的とも言えるマインドコントロールを受けたのだろうか?この麻痺感覚は恐ろしいほど根深く、日本人は早くリハビリをしないと、ビッグバンの中で世界に完全に置いて行かれる、と言う点で大いなる一致を見た。


<Vol.4/1999.7.18>

世の中は確かに変わってきているかも知れない。ベンチャーキャピタリストがNHKに出るのは如何なものかと思う。なぜならその活動の多くは秘密裏に行われる作業だからだ。ともあれ出たお陰で、あるビルのオーナーから連絡があった。都内の好立地に空き室があるので、ベンチャーの支援のために提供できないか、というものだった。ただ、ベンチャーにどう接したらいいか分からないので、ちょうど良い、村口さん面倒見てくれませんか?ということで、ご協力させていただくこととなった。そこは26坪ほどある物件で、非常に低廉なインキュベーションスペースとして活用を考えている。特にサラリーマンを独立して、会社を設立までの約半年間を低廉に過ごせるよう、サービスを企画中である。基本をボランティア活動におき、徹底した低廉さと、質の高いインフラ提供を旨とするつもりである。会社が出来るまでは、独立したサラリーマンは「無職」であり、社会的信用もない。名刺に都心の事務所の住所が載せられるだけで、周囲に対する活動の腰の入れ方が理解して貰えるだろう。SOHOとは一見格好いいが、自宅でブラブラしているのか、本気でベンチャーをしようと努力しているのか、分からないことが多い。独立したあとの名刺の住所は、見るものに意図せず多くのメッセージを伝えてしまう。インキュベーションスペースは、独立後の活動をそういう面でも支援する。


<Vol.3/1999.7.9>

先日、理系のベンチャーに興味のある大学生数人と夕食を食べながら話をした。ものすごくベンチャーに興味があって、メモを取りながら話を聞く人もいた。社会経験の少ない人にベンチャー経営と、ベンチャーキャピタルの話をするのは骨が折れたけれど、話がいがあった。学生がベンチャーを考えるとき、「卒業して、すぐに始めるのがよいか、社会人として十分経験を積んだ上で始めるべきか」という質問があった。これは、事業の内容による。最先端の中年が全く理解できない領域においては、ビルゲイツのように出来る限り早く始めてチャンスを失わないことを考えるべきだ。しかし、すでに類似事業がある領域、例えばレストランチェーンなどの場合は、すでに前例が多く、経験を積んだ人にはかなわない部分が多い。この領域をビジネスとする場合は、社会経験をその業界で積んで、じっくりと機を見なければならない。注意すべきは、ベンチャーは早ければ早いほうがよい、または、少なくとも30歳までは社会経験を積むべきだ、といった固定概念を振り回す年輩の間違った「常識」に惑わされて自分の生き方を見失わないことである。


<Vol.2/1999.7.4>

中部通産局からの依頼で、ベンチャー企業支援プログラム発足記念講演会で1時間半ほど話をした。会場はほぼ満席で、百人以上出席者がいたと思われる。皆さん最後まで非常に熱心に講演を聴いていただき、熱気に包まれていた。こんなことはかつて無かったことではないかと思う。ナスダックジャパンの発表や、店頭市場の改革(7月1日より実施)などにより、ベンチャーに関心のある人が確実に増加していると実感した。話の内容は、ベンチャーキャピタルの投資最前線の状況、これからベンチャープロジェクトを立ち上げる場合の段取り・問題点と解決方法、投資と融資の違い、会社の起こし方などである。最後に、燃え落ちる火事現場(不良債権処理等の経過)の実況中継を立ち止まって見続けているのは、足踏みにほかならず、従って今すぐ、火事の現場を立ち去り、始めることがあるのではないか、と皆さんに訴えた。


<Vol.1/1999.6.27>

日本版NASDAQの発表から、各界の反応が様々で面白い。特に政治家はよく分からず、良いとも悪いとも言えずにいるように見受ける。店頭市場の基準も実はあまり変わらないところまで緩和されており、問題は「プレイヤーの量と質、さらに運用そのものの内容」が問題なのである。(制度面で指摘できるとすると、証券業協会の組織としての性格を、持ち回りの曖昧なものでなく、明確な方針を持ち得る単純明快な組織とすることが必要でしょう。)制度そのものよりも、運用の実態をもう少し日本の証券界は学ぶ必要がありはしないか。今回のことは間違いなくその見直しの契機となるだろう。我々はその社会の変化を先取りした動きをはじめなければならない。

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